学校ブログ
玄関ホールに「がんばれ三年生!」
生徒会が企画し、1,2年生と教職員が協力して、卒業後の進路に向けた3年生へのメッセージが、玄関ホールに貼り出されました。一人ひとりが桜の花びらにメッセージを書き、全体が桜の木になるデザインです。再来週の15日には私立高校入試、3月5日は公立高校入試が控えています。玄関メッセージに背中を押してもらい、3年生が進路に向かって努力してくれることを願います。
生徒会誌「燈臺(どうだん)」編集作業の様子+統合当初の生徒会誌について
恵山中学校では毎年3月に「生徒会誌」を発行しています。1年間の生徒会活動、学習活動、部活動などに加え、行事についての作文、写真、教職員から卒業生への言葉などが掲載されています。
昨日29日(月)の昼休みに、今年度の生徒会誌の編集委員が集まり、印刷会社から上がってきた「ゲラ刷り」の校正作業について、3年生の伊藤妃奈さんを中心に打合せを行っていました。(下の写真)
生徒会室には過去のものや寄贈された他校の生徒会誌が保存されています。現在のものはA5判で印刷会社に発注していますが、恵山中学校が誕生した当初のものは題名や体裁、内容が現在とは異なります。生徒会誌第1号の題名は「響力」(B5判)、第2号は「伸展」(A4判)、第3号は「大志」(A4判)で、印刷は校内の印刷機で行われていたようです。第4号、第5号は残念ながら保存されておらず、第6号は現在の「燈臺」(A4判)という題名になり、印刷会社へ発注する形で現在まで続いています。今年度はNo,19になります。3月の卒業式前に皆さんのお手元に届く予定です。
防災教育を行いました(能登半島地震を受けて)
1月1日の能登半島地震を受けて、本校ではあらためて地震を中心とした防災教育を1月25日(木)に行いました。
本校では2学期に地震を想定した避難訓練を行いましたが、休み時間の抜き打ちの形で実施したところ、生徒の動きや教職員の指示などでさまざまな課題が浮き彫りとなりました。そこで、3学期の冬季間という設定で、あらためて防災教育を行う予定をしていたところ、偶然ですが1月1日の大きな地震と災害が起こったため、期せずしてタイムリーな防災教育となってしまいました。
1月25日は能登半島地震発生時に撮影された数種類の動画を大型ディスプレイや個々のタブレットで視聴し、地震が起こった時にどうするかを個別やグループで考えました。学校だより225号にも掲載しましたが、今回の地震のように自宅にいる時に自分たちがどうするか、「自分事」としてとらえ考えることが大切だと感じました。また、これも偶然ですが、防災教育を行った25日に恵山支所の職員が来校して、避難所のための災害備蓄品を追加して備蓄用物置に入れる作業を行いました。(下の写真) これらの備蓄品を使うことがないよう祈るばかりです。
今週の道徳授業の紹介
1月22日(月)の道徳の授業を紹介します。※1年生は25日(木)に行いました。
1年道徳「裏庭でのできごと」
◯内容項目…自主、自律、自由と責任
◯内容の概略
昼休みに健二は大輔と雄一に体育館の裏の「裏庭」でサッカーをやろうと誘われた。3人で裏庭へ行くと、一匹の猫が物置の軒下にある鳥の巣に侵入しようとしていた。雄一がボールを投げ、猫は逃げたがボールが物置の窓に当たりガラスが割れた。雄一が職員室へ報告しに行っている間、健二が蹴ったボールが、さっき割れた窓の隣の窓に当たってガラスが割れた。雄一が松尾先生と裏庭に戻り、事情を説明した。先生が戻った後、2枚目のガラスを健二が割ったことに雄一が憤慨した。放課後に健二は大輔に「いいか。俺を出し抜いて先生のところに行くなよ。俺の立場が悪くなるじゃないか。」と言われた。
健二は帰宅後、もやもやしていたが鏡に映る自分の姿を見て「僕は、僕自身はどうしたいんだろう…」と考えるうちに、ある決心をした。次の日、健二は学校に行くと雄一に「僕、やっぱり松尾先生のところへ行ってくるよ。」と言った。雄一が「おい。大輔は…。」と言ったが、健二は首を横に振ると職員室へ向かった。
◯教師の思い
自分の中にも弱い心が必ずあって、悩んだり迷ったりするが、「正しい」と考えることを選択できることが生き方としても素敵なのだということ。
◯生徒の考え、感想(一部の抜粋です)
・(健二が先生のところへ行ったのは)一回行こうとして大輔に行くなって言われたけど、正直に言った方が良いから行ったと思う。
・何を言われても自分の思ったことを通せること。
2年道徳「避難所にて」
◯内容項目…節度、節制
◯内容の概略
1995年の阪神・淡路大震災の時、私は家の近くの小学校へ避難していた。仲のよい新平と浩司とも連絡が取れ、一緒に過ごすようになった。避難先でのボランティア活動を見ていて「僕ら、こんなことしていてええんやろか。」と思うようになった。町でがれきを片付ける人々の中に、私の弟の純が高齢者に水を運ぶ姿があった。私たちはボランティア相談所へ行って「何か手伝えることはないですか。」と尋ね、次の日の朝に来るように言われた。
明朝、ペットボトルと弁当を届けた先のお年寄りから「ありがとう。助かるわ。地震のあと、体調を崩しとったんや。」と言われ、何かできないかと三人で相談し、避難所の掲示板に「長期間の避難所生活では健康が大切です。(以下略)」と貼り紙をした。阪神・淡路大震災の時に復興を願って作られた歌「しあわせ運べるように」のフレーズが私の耳に自然と浮かんできた。
ていた。
◯教師の思い
実際に能登半島地震で避難所生活を送っている人や、中学生の集団避難について、自身の生活や境遇についても考えながら、辛い思いをしている人たちの気持ちも考えつつ、今、自分ができることを考えさせたい。
◯生徒の考え、感想(一部の抜粋です)
・被災地に行けないから、せめて募金等をして手助けをしたい。
・励まし合って声をかけたい、応援したい。
・災害に対する知識を深めて、自分が被災した時に活用できるようにする。
3年道徳「一冊のノート」
◯内容項目…家族愛、家庭生活の充実
◯内容の概略
僕は弟と、祖母が物忘れが激しくなり、我を張るようになったと会話していた。翌朝、僕の数学の問題集がなくなり、むっとして祖母に「しっかりしてよ、おばあちゃん。僕ら迷惑しているんだ。」と弟と一緒に祖母を非難した。ある日の学校帰りに祖母が季節外れの服装にエプロンを掛け、古くて大きな買い物籠を持った姿で歩いていて恥ずかしかった僕は、帰宅後に厳しい口調で「なんだよ、その変な格好は」と問い詰めた。
一週間後に捜し物をしていて、祖母が日記風に書き綴った一冊のノートを見つけた。自分の記憶へのもどかしさや不安や家族への感謝の気持ちが切々と書き込まれていた。「…記憶もだんだん弱くなり、今朝も孫に叱られました。…せめてあと5年、なんとか孫たちの面倒をみなければ。しっかりしろ。ばあさんや。」僕はいたたまれなくなって外へ出たが、庭で草取りをしている祖母がいて、黙って祖母と並んで草取りを始めた。「おばあちゃん、きれいになったね。」祖母はにっこりとうなずいた。
◯教師の思い
家族が幸せに暮らせるために、自分ができることを考えてほしかった。
◯生徒の考え、感想(一部の抜粋です)
・家族全員が過ごしやすい環境を作ることが大切だと思った。過ごしやすい環境とは、いつも通りの日常のこと。
1,2年生の作品を紹介します。
2階廊下に、1年生の絵馬と2年生の家庭科作品が飾られています。
1年生の絵馬は、このブログの1月16日で紹介した学活の時間の「絵馬」づくりで取り組んだものが完成しました。1年生教室前の廊下壁面に、めいめいがデザインして願いを書いた絵馬を、十色神社(学級目標の十人十色から)と銘打った鳥居つきの大きな紙に貼り出してくれています。下の写真中の一番大きな絵馬には「今年は勉強する時間を増やして成績をよくしたい。家族協力して家のことをしっかりやる。」と書かれています。願いが叶うことを祈っています。
2年生は2学期の家庭科でウォールポケットづくりに取り組みました。青色を基調とした布にいろいろなデザインをのせています。後日持ち帰ったら、家で活用してください。