今週の道徳授業の紹介

1月22日(月)の道徳の授業を紹介します。※1年生は25日(木)に行いました。

1年道徳「裏庭でのできごと」
◯内容項目…自主、自律、自由と責任
◯内容の概略
 昼休みに健二は大輔と雄一に体育館の裏の「裏庭」でサッカーをやろうと誘われた。3人で裏庭へ行くと、一匹の猫が物置の軒下にある鳥の巣に侵入しようとしていた。雄一がボールを投げ、猫は逃げたがボールが物置の窓に当たりガラスが割れた。雄一が職員室へ報告しに行っている間、健二が蹴ったボールが、さっき割れた窓の隣の窓に当たってガラスが割れた。雄一が松尾先生と裏庭に戻り、事情を説明した。先生が戻った後、2枚目のガラスを健二が割ったことに雄一が憤慨した。放課後に健二は大輔に「いいか。俺を出し抜いて先生のところに行くなよ。俺の立場が悪くなるじゃないか。」と言われた。
 健二は帰宅後、もやもやしていたが鏡に映る自分の姿を見て「僕は、僕自身はどうしたいんだろう…」と考えるうちに、ある決心をした。次の日、健二は学校に行くと雄一に「僕、やっぱり松尾先生のところへ行ってくるよ。」と言った。雄一が「おい。大輔は…。」と言ったが、健二は首を横に振ると職員室へ向かった。
◯教師の思い
 自分の中にも弱い心が必ずあって、悩んだり迷ったりするが、「正しい」と考えることを選択できることが生き方としても素敵なのだということ。
◯生徒の考え、感想(一部の抜粋です)
 ・(健二が先生のところへ行ったのは)一回行こうとして大輔に行くなって言われたけど、正直に言った方が良いから行ったと思う。
・何を言われても自分の思ったことを通せること。

1月25日 1年生道徳①1月25日 1年生道徳②

 

 

 

 

 

 

2年道徳「避難所にて」

◯内容項目…節度、節制
◯内容の概略
 1995年の阪神・淡路大震災の時、私は家の近くの小学校へ避難していた。仲のよい新平と浩司とも連絡が取れ、一緒に過ごすようになった。避難先でのボランティア活動を見ていて「僕ら、こんなことしていてええんやろか。」と思うようになった。町でがれきを片付ける人々の中に、私の弟の純が高齢者に水を運ぶ姿があった。私たちはボランティア相談所へ行って「何か手伝えることはないですか。」と尋ね、次の日の朝に来るように言われた。
 明朝、ペットボトルと弁当を届けた先のお年寄りから「ありがとう。助かるわ。地震のあと、体調を崩しとったんや。」と言われ、何かできないかと三人で相談し、避難所の掲示板に「長期間の避難所生活では健康が大切です。(以下略)」と貼り紙をした。阪神・淡路大震災の時に復興を願って作られた歌「しあわせ運べるように」のフレーズが私の耳に自然と浮かんできた。
ていた。
◯教師の思い
 実際に能登半島地震で避難所生活を送っている人や、中学生の集団避難について、自身の生活や境遇についても考えながら、辛い思いをしている人たちの気持ちも考えつつ、今、自分ができることを考えさせたい。
◯生徒の考え、感想(一部の抜粋です)
 ・被災地に行けないから、せめて募金等をして手助けをしたい。
 ・励まし合って声をかけたい、応援したい。
 ・災害に対する知識を深めて、自分が被災した時に活用できるようにする。

1月22日 2年生道徳①

1月22日 2年生道徳②

 

 

 

 

 

 

3年道徳「一冊のノート」
◯内容項目…家族愛、家庭生活の充実
◯内容の概略
 僕は弟と、祖母が物忘れが激しくなり、我を張るようになったと会話していた。翌朝、僕の数学の問題集がなくなり、むっとして祖母に「しっかりしてよ、おばあちゃん。僕ら迷惑しているんだ。」と弟と一緒に祖母を非難した。ある日の学校帰りに祖母が季節外れの服装にエプロンを掛け、古くて大きな買い物籠を持った姿で歩いていて恥ずかしかった僕は、帰宅後に厳しい口調で「なんだよ、その変な格好は」と問い詰めた。
 一週間後に捜し物をしていて、祖母が日記風に書き綴った一冊のノートを見つけた。自分の記憶へのもどかしさや不安や家族への感謝の気持ちが切々と書き込まれていた。「…記憶もだんだん弱くなり、今朝も孫に叱られました。…せめてあと5年、なんとか孫たちの面倒をみなければ。しっかりしろ。ばあさんや。」僕はいたたまれなくなって外へ出たが、庭で草取りをしている祖母がいて、黙って祖母と並んで草取りを始めた。「おばあちゃん、きれいになったね。」祖母はにっこりとうなずいた。
◯教師の思い
 家族が幸せに暮らせるために、自分ができることを考えてほしかった。
◯生徒の考え、感想(一部の抜粋です)
 ・家族全員が過ごしやすい環境を作ることが大切だと思った。過ごしやすい環境とは、いつも通りの日常のこと。

1月22日 3年生道徳①1月22日 3年生道徳②