2024年7月の記事一覧

道徳の授業の紹介(7月4日、5日実施)

 今回の道徳の授業は、全クラスともに「主として集団や社会との関わりに関すること」についての内容を扱いました。それぞれ公共のマナー、世界の平和、障がい者スポーツについて考え、議論しました。(なお、写真は4日の3年生しか撮影できませんでしたので、ご了承ください。)

7月4日 3SA道徳①7月4日 3SA道徳②

 

 

 

 

7月4日 3A道徳①7月4日 3A道徳②

 

 

 

 

 

 

1年A組、1・2年SB組道徳「花火に込めた平和への願い」
◯内容項目…C主として集団や社会との関わりに関すること-18国際理解、国際協力
◯内容の概略
2015年1月、ゆかりは新潟県長岡市の「中学生海外体験ホノルル訪問事業」(約1週間の日程でホノルルの人々や中学生と交流しながら、真珠湾攻撃をはじめ、戦争と平和について学び、考える事業)の一員としてハワイを訪問した。沈没したままの戦艦アリゾナの上にあるアリゾナ記念館で胸が締めつけられ黙り込んだゆかりに、現地ガイドが「Are you OK?」と声をかけてくれた。こんなに悲しい現場で、かつては敵だった国の私たちに、どうしてこんなに温かく接してくれるんだろう。夕食後、ガイドさんが「悲劇はあったけれど、過去は変えられない。過去から学びながら、未来を見つめて、日本ともっともっといい関係を作っていきたい。」と言ってくれた。2015年8月15日、ホノルルの真珠湾で長岡の花火が打ち上げられた。ゆかりはニュース番組を見て「平和のために、私にできることってなんだろう。」とつぶやいていた。
◯坂井教諭(1A担当)の思い、考えさせたいこと
・人のために自分ができること→世界平和のために自分ができること→戦争のない世の中を目指すことについて考えさせたい。
○玉野教諭(1・2SB担当)の思い、考えさせたいこと
・世界の平和のために、自分ができることや、なぜ千羽鶴を折るのかについて考えさせたい。
◯生徒の考え、感想(一部の抜粋です)
・平和のためには 差別をしない、ボランティアと募金を行う。
・平和のためにはボランティアをする。人を守る、助ける。

 

2年A組道徳「美しい鳥取砂丘」
◯内容項目…C主として集団や社会との関わりに関すること-10遵法精神、公徳心
◯内容の概略
 2008年に「私」は妻と2人の子供と一緒に鳥取砂丘へ観光に出かけた。いよいよ当日の朝になり、子どもたちが大はしゃぎで駆け出したため私も後を追った。ところが目に飛び込んできたものは「馬の背」と呼ばれる高さ約50メートルの斜面に、縦横20メートル四方もある大きな落書きと、それを完成させて騒いでいる若者だった。私は肩を落とし落書きをした人間に憤慨した。後日、私たち家族は「美しい鳥取砂丘を守り育てる条例」の案の存在を知った。内容は50メートル先から視認できる落書きに対して最高50万円の罰金を科すというものだった。これには賛否両論が寄せられていた。この後、条例案は「5万円以下の過料」等に修正されて可決、施行されたが、現在でも落書きは続いているという。
◯髙木教諭(2A担当)の思い、考えさせたいこと
・公共の施設や場所を大切にするために、また日常生活の中でも同じような場面があることもふまえ、自分たちはどんなことができるのか、どのように行動すべきか考えさせたい。
◯生徒の考え、感想(一部の抜粋です)
・すごくいいべんきょうになった。なんで落書きよくないかわかった。
・罰金をしても落書きが減らないことにびっくりした。改善方法をみつけるのが難しかった。

 

3年A組、3年SA組道徳「No Charity,But a Chance!」
◯内容項目…C主として集団や社会との関わりに関すること-12社会参画、公共の精神
◯内容の概略
 障がい者がスポーツをすることが考えられなかった60年ほど前の日本で、その状況を打ち破り、障がい者の社会参画を後押し「日本の障がい者福祉の父」と呼ばれた中村 裕(なかむら ゆたか)医師のお話。1960年にイギリスの脊髄損傷センターを訪れた中村医師は、そこの患者の85%が6か月で社会復帰していることや、車いすに乗った患者がバスケットボールや卓球、水泳などのスポーツを楽しむ姿を見て驚いた。帰国した中村医師の情熱が実り、1964年に東京でパラリンピックが開催された。しかしさらなる課題は外国人選手のほとんどが仕事をもっているのに対し、日本人選手で仕事を持っているのは1割にも満たないことだった。中村医師は私財を投げ出して障がい者が社会復帰するための施設「太陽の家」を創設した。その信念は「No Charity,But a Chance!(保護より働く機会を)」だった。多くの苦労の末、「太陽の家」は業績を伸ばし、働いて社会に進出する機会を多くの障がい者にもたらした。1984年、障がい者という言葉がこの世からなくなることを夢見ながら、中村医師は57歳の生涯を閉じた。
◯大和教諭(3A担当)の思い、考えさせたいこと
・日本の障害者福祉の父と呼ばれた中村裕医師の業績や思いを捉えることで、現在のノーマライゼーションを見直させたかった。この夏にはパラリンピックが開催されるので、国際的な取組をぜひ見てほしい。
◯武内教諭(3SA担当)の思い、考えさせたいこと
・障がいをもつ人が、よりよい生き方をできるようにするために、自分たちがどんなことを考えていかなければないけないか。
◯生徒の考え、感想(一部の抜粋です)
・どんな障害を持っている人でも差別や偏見を持たず、平等に生きることが大事だと考えることができました。
・差別しないで障がいがある人にも同じく接してあげる事が大切だということ。